ネコと鮮魚

ネコと鮮魚が仲たがい

セミちゃん

 

広島に来てから、セミとは何かしらご縁があるみたい。

 

大学一年の夏、まだ西条に住んでいたころの話。

 

駅から大学までのあいだに、両側を木々に囲まれた、ブールバールという大きな通りがあった。

 

ブールバールを通ったことは何度もあるけど、ほとんどが傾斜面だったような。

 

あつい夏のある日、私は自転車でブールバールの坂を下って駅まで向かっていた。

 

ブレーキをかけずに坂道一直線。滴る汗も気にせず、向かってくる風を浴びていた。

 

すると突然「バチッ」という音と共に、おでこに若干の痛みを感じた。

 

真っ向からセミが飛んできて、私のデコに衝突したのだ。

 

わたしはすぐにセミが飛んで来たのだ…と分かってしまった。

 

もともと、虫が苦手な私の心拍数はギュンと上昇し、少しして恐怖で脱力した。

 

そのあとセミちゃんはどうなったか分からないけれど、私は半分虚脱しながら自転車をよろよろと漕ぎ続け、いつのまにか駅に辿りついた。

 

大学2年の夏は何もなかった。

広島市内に引っ越して来て初めての夏だった。

 

セミの声はうるさかったけど、それは毎年のことだ。

 

大学3年の夏も何もなかった。

 

大学4年の夏。

一人暮らしの我が家のベランダでセミが死んだ。

 

あの日のことを今でもちゃんと覚えてる。

 

夏休みだった。

いつものようにのんびり目覚めて、ベッドの上でゴロゴロしながらnhk連続テレビ小説を見ていた。

 

「ジジッ」という音が私の耳に入ってきた。

 

最初はテレビの音だと思っていた。

しかし、よくよく聞いていればドラマとは無関係な、おかしなタイミングで「ジジッ」という音が聞こえてくるはないか。

 

暑かったけど節約のために窓を開けて過ごしていた。

 

私は恐る恐る窓の方に近づいた。

「ジジッ…」

再び羽根の擦れる音が聞こえた。

 

「あぁ、完全にリアルだ。」

私は落胆した。

 

ベランダに…!

セミが…!

いるわ…!

 

それだけは確信できたけれど、どこにいるかということは、怖くて確かめられなかった。

 

次の日、わたしは恐る恐る窓を開けて、ベランダを覗き込んだ。

 

昨日まで羽根を擦らせていたあのセミちゃんは、わたしのベランダで動かなくなっていた。

 

もう羽根の擦れる音もしなかった。

 

それでも私は死んでいるか確信が持てなくて、怖かったので3日間くらい放置してしまった。

 

セミちゃんが亡くなって3日経ったとき、とうとう供養した。

 

一瞬だけれど、両手を合わせて拝んで、お手製のセミちゃんスコップで掬ってベランダから外に落とした。

 

耳鳴りがした。

最後までセミちゃんが怖くて。

 

セミちゃんスコップは新聞紙で作った。

花屋さんみたいに新聞を筒状にして、片方の端を捻って塞いで持ち手にしたものだ。

 

セミちゃんとの距離をできる限り確保したくて、このセミちゃんスコップを開発した。箸などではダメだった。

 

そして今年の夏。

去年同様、セミがベランダで死んだ。

去年のセミちゃんとほぼ同じ位置で死んでた。

 

亡くなる前、セミちゃんの羽根の擦れる音を、何回か聞いたけれど、去年よりすぐに音がしなくなった。

 

数時間後にはセミちゃんは完全に亡くなってたと思う。

 

それでも私はやっぱり怖くて、数日間放置した。

 

(故)セミちゃんになってから数日後、ごめんねという気持ちで一瞬拝んだ。

 

今年は割り箸で供養した。

無理だと思ってたけど意外と割り箸でできた。

 

セミちゃんスコップは不要になった。

 

それでもやっぱり耳鳴りはした。

セミちゃんが怖くて。

 

また来年もセミちゃんが、なんらかの形で、私のところに夏を知らせに来るのかな。

 

セミちゃん。

さようなら、セミちゃん2018。