ネコと鮮魚

ネコと鮮魚が仲たがい

宝箱みたいな

宝箱みたいだなぁと思いました。

 

小さい頃にお祭りの屋台とかですくって集めたプラスチックのクリスタルとか、調子乗って床に叩きつけたらすぐどっかにいっちゃうスーパーボールとか、つやつやして飴玉みたいだけど、食べれそうで食べれないおはじきとかビー玉とか、ビーズで作った小さすぎるブレスレットとか大きすぎる指輪とか、アイロンあてすぎて、ちょっと溶け気味のアイロンビーズで作ったハートとか。

 

そういう、かわいい!とおもって、ときめいた大好きなものたちをぎゅーっと集めて、一つの箱におさめたもの、それが宝箱なんだけど、象の背が10月にリリースしたアルバム、「Tidyin' Up My Room」は、私にとってまさに宝箱みたいなものでした。

 

自分がまだ大学生の時、レコ屋がTwitterで音源をアップしていたのを聞いて、ビビッときて即、ファーストを購入したのが、私が象の背ラバーになったはじまりなのですが、当時は広島に住んでいたので、ライブを見に行くことがなかなかできなくて、ずっと憧れみたいな感じでした。

 

そこから大学卒業してしばらくして、色々あり京都にお引越しをしてきて、やっと生で象の背を拝むことができたのです。

 

初めてステージを見れたあの日は、本当にうれしくて、持参したファーストにサインをもらいました✌︎ ちょっと懐かしい。

 

軽音部だったのに音楽のことあんまり分からない私だから、どこがどういいの?とか、具体的には言葉にできないけど、とにかく象の背はかわいい。それとね、時々やってくる憂鬱とか、なんて言ったらいいか分からない変な気持ちとか、あるじゃん?そういうのも全部かわいいのなかに溶け込ませちゃうっていうんですか、そんなところに、ときめいちゃうんですよね。

 

なんでそういうところにときめいちゃうかってきかれたら、それはもう直感でしかないんだけど、やっぱり結局は宝箱なんだと思うんですよ。

 

小さい頃にかわいい!とおもって大事にしてたものたちは全てわたしのかわいい!の直感によって集められたものたちだから。

 

もちろん、宝箱は持ち主が大きくなるにつれてさようならをしていくものかもしれないし、そうでないかもしれないんだけど、宝箱をつくる根本にあるものは、形を変えてその人のなかに存在し続けると思うんです。

 

わたしの宝箱(現物)は実家にまだあるのやらないのやら…もうとっくにさようならをしてしまったけれど、わたしの中に、宝箱を作り上げたときめきってのはまだちゃんと存在している。

 

いまもかわいい!と思う気持ちと、その対象をとっても大事にしている。

 

象の背はそのときめきをいつも感じさせてくれる、私にとってそんなバンドなのです。

 

 

はぁ〜ほんとキュ〜ト…!

ラブじゃん?

 

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